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走馬灯の如く思い出す

昔勤務していた会社の先輩が亡くなった。

脳幹梗塞
享年56


自分が脳外科の診察に行き
「お!カメさん、発作を起こしてから1年ですね!」
「わー♪1周年~♪」
「それじゃ、記念のMRIを撮りましょうか」
「わー♪お願いします~♪」
と、脳天気な診察をしていたあの日、彼は倒れた。

自分は相変わらず脳天気なままで、彼は呆気なく逝った。
この差は何?
憎まれっ子の法則発動?
自分はラクナ型だが、彼はアテローム型だった?

・・・・・。


実に30年以上も前、約2年間、机を並べて仕事をしていた。

口数が多い方ではないが、しかし驚くほど物知りで、
美大を出たわけじゃないのに、しかし驚くほどイラストが上手で、
決して前に出るタイプではないのに、しかし独特の存在感のある人だった。

あの頃の自分は(も)もうすべてにチャランポランで、仕事のミスが多く、スイッチが入る時と入らない時の差が極端で、ずっと迷惑をかけて、尻ぬぐいしてもらっていた。

あの頃の自分がどれほどダメだったかと言うと、自分に何時もお説教を垂れていた課長が、とうとう
〝馬鹿カメの歌〟
なるものを作って、自分の顔を見るや即座にそれを歌い出したほど。
作詞は課長、曲はアイネクライネナハトムジーク。


だから、葬儀中は
「ごめんなさい」
の言葉しか浮かばなかった。
「ありがとう」
未満のごめんなさい。


月に100時間を超える残業をしながら、週末は趣味の野球の試合に出ていた。
その頃、スイングアウトシスター〝ブレイクアウト〟が大ヒットしており、自分も夢中になっていて
「スイングアウト♪スイングアウト♪」
と歌うようにつぶやいていたら、
「スイングアウトって言うな!俺は明日試合なんだよ!」
と隣の机から怒りの声が飛んだのは、今でも笑える思い出。

そして、野球の他にドラムも上手だった。
見た目も叩き方もコージー・パウエルに似ていた。
コージーが好きだったのは確かだが、真似たと言うよりは自然と同じスタイルになった気がする。


foto_1519457122.jpg


セットは恐らくコージーと同じYAMAHAだったと思うし、硬めにスネアを張るところとかカッティングとか、とてもコージーだった。
筋肉質で、力の塊のようなところもコージーだった。

野球もバンド活動も、あの頃から変わらず続けていて、特にバンドの方は、お嬢さんがキーボードを担当して父娘で一緒にプレイしていたそう。
嬉しかっただろうなぁ。


女性に対しては超がつくほど不器用だったと思うが、穏やかな性格の美しい後輩社員と恋愛して結婚。
お子さんにも恵まれ、その子たちも立派に独り立ちした。

彼の奥さんは、人を包み込むような温かさを持ち、おっとり穏やかな口調で話す。
そんな彼女と会ったり、思い出す度に
「こんな人がお寺の奥さんなら、檀家さんは幸せだろう」
と思わず考えてしまうのは、この30年間ずっと。


彼は幸せだったと思う。
仕事に燃え、帰る穏やかな家があり、幸せの何たるかを常に噛みしめていたような気がする。
56年の生涯は短かったけれど、確実に幸せだったと思う。

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ナムナムさん

今年に入ってから、自分の周りの「56歳」がバタバタと倒れ、彼を含む2人が逝去、2人が意識が戻らぬままです。
おくやみ欄を見ても、最近若い人の名前が多いと感じます。
私も常に
「若い人に先に逝かれては困る」
と、まるで呪文のようにばあちゃんに言われていますが、しかし、こればかりはどうしょうもない。

人は、手放した後に
「あの時は幸福だった」
と、ようやく感じるものですが、手放す前に
「仕事がある」
「家族がある」
の、平凡であり普通であり当たり前であると思いがちなことが、どんなに幸せなことなのかを教えてくれました。
更に彼には
「友がある」
の幸せがありました。


本当に幸せな生涯だったと思います。

早いですね・・・56は

おそらく、その方の時間は充実していたんだと思います。
すべてに集中、その時その時を一所懸命に生きて、
色んなことをやって、濃密な時間を過ごしたんだと思います。
だから短い一生で良い、ということがあるわけないですが、
密度の濃い56年だった、と思うしかないですね。
彼は幸せだった、と。
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カメ

Author:カメ
未だ嵐メンバーの顔と名が一致しない。
キスマイ?ジャンプ?
ジャニーズは闇。

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