南押原の史跡巡りとバードウォッチング

最近入会した
森のめぐみJAPAN
の1月の活動に参加させてもらった。

鹿沼市楡木~南押原の神社などを巡るハイキング。
南押原コミュニティセンターを出発して、周回して戻るまで約3キロと言ったところか。
すぐ脇を走る東武電車を見ながら、のんびりと農道を歩きながらの散策は楽しかった。

実はこの道、東武電車に乗る度に車窓から眺めながら
「まっすぐな農道で、走るにはもってこいだなぁ」
と思っていたのだ。
そこをこうしてじっくりと歩けるなんて。
きっとご縁があったのだろう(と、勝手に思う)


楡木神社

祭神は磐裂命・根裂命。
創建は明らかではないが、江戸時代は「星宮大権現」と称し、明治2年に「楡木神社」と改称。同8年焼失、同13年再建、同39年に村社となった。伝説では、ある高貴な方が随臣7名と共に本村に居を構え、7名は7軒百姓と言ってその子孫は繁栄し、高貴な方は社に祀られたと言われ、境内の地下にはその方の埋蔵品があると伝えられている。文政年間には石垣を建造するために崖を切り下げたところ、石棺のようなものが出土したと言われている。
(しおりより一部抜粋)



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↑一の鳥居、二の鳥居、拝殿

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↑獅子(阿)

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↑獅子(吽)

このユーモラスな獅子は、昭和55年に奉納されたもの。

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↑天保6年(1835)の獅子(阿)

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↑同じく天保6年の獅子(吽)

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↑本殿の覆い


そして、楡木神社から山沿いに平行移動したところにある大内神社へ。


大内神社
孝謙天皇が宝亀3年(772)に当地に行幸された折、天皇の守り本尊の雲石不動を勧請したと伝えられている。明治12年の頃、雲石不動を日本武尊に改めたと言われている。境内には岩石が多く、雲石岩や清水滝などがある。この神社付近の大内字には孝謙天皇にまつわる伝承が残っている。
(しおりより一部抜粋)



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↑こじんまりとした鳥居が可愛らしい。

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↑鳥居をくぐって200メートルほど進んだところにお社がある。
お社を守り固めるかのように雲石岩が広がっている。
かつては拝殿があったそうだが、今はなくなってしまっている。

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↑美しいたたずまいの社殿。

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↑何と滝が流れていた。
その名も清水(きよみず)の滝。
水に沿って鍾乳石のようになっているのは、石灰質を含んだ水だからだろうか。

岩石が多く、滝が流れるこの神秘的な神社の真上は、驚くことにゴルフ場だと言う。
何てこったい!
この罰当たりめが!


大内神社を後にし、更に歩いて小森雲石の石碑を見学。


小森雲石
文政5年(1872)に生まれ、和漢の学を修め、塾を開いて子孫を教育し、また剣術にすぐれ当流兵法の免許を受け、邸内に道場を設けて剣術の指導に当たり、その他医術にも通じて困った人々を助けるなど信望が厚く、明治24年70歳で亡くなった。翌年、門人たちにより邸内に碑が建立された。また、墓地の北側には十九夜碑などが数基ある。
(しおりより一部抜粋)



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↑石碑

雲石は、先の大内神社の雲石不動から取った名前だと言う。

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↑石碑近くにあった地蔵尊。


そして、最終見学地の成就院にお参りし、県指定天然記念物の「しだれあかしで」を見た。


成就院のしだれあかしで
200年以前に、黒川西岸に野生していたものを成就院に献木したと言われ、珍木として昭和3年国指定天然記念物となったが枯木となり、現在のものは80年くらい前に横根山麗から移植したもので昭和32年に県指定天然記念物となった。


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↑客殿前にしだれあかしではあった。

真言宗智山派の成就院さんとは「同支所寺院」の間柄で、常々何かとお世話になっている。
奥さまはおっとりとした気持ちの良い方で、
「今度の日曜日、お邪魔するよー!」
と言おうとも思ったが、変にお気を遣わせてしまっては申し訳ないと思い止めておいた。


出発の南押原コミュニティセンターに戻り、無事に活動終了。
その後、コミュセン内で森のめぐみJAPAN総会が開かれ、終了後は懇親会も兼ねた昼食をいただいて、全行程終了。

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↑お弁当が美味しかった。


地元再発見の散策は、期待通りに深い時間だった。
明治3年の神仏分離令の影響を目の当たりにした思いがし、孝謙天皇伝説にも思いを馳せた。
下野薬師寺に追放された道鏡を追って、下野にて没したとの孝謙天皇だが、そもそも道鏡は孝謙天皇(その当時の称徳天皇)が没した後に追放されたのであるけれど、下野市には孝謙天皇の墓と言われる墳墓があり、大内神社にも孝謙天皇が行幸されたとのいわれがあるとは。
思うに、栃木県には国分寺・薬師寺があるために、当時の中央政権の影響を受けた歴史や伝説が数多く残っているのがとても興味深い。
実は、ウチの寺伝もその影響を少なからず受けている。
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キスマイ?ジャンプ?
ジャニーズは闇。

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